はじまり
はじまりは1991年、、7月だったかな。まだオートモデリGT(フィニッシャーズ)が葛西にあったころの、確か葛西駅を挟んでGTの反対側あたりにフェアレディZの専門店(BUBU Z店)があって、
そこで1990年式、走行1万3千キロのZ32を買ったのが最初です。

購入直後の私(19歳)
Z32は89年7月発売で、当時は中古車市場にあっても真っ赤ばっかりでレッドパールはなかなか見つからず、たまたまあったのがこの店でした。
早速店頭に行き、あったのは2シーターのATだったのですがすでに売約済み。 しかし現物を見てコレだ!感があって、店長に捜索を依頼しました。
で、見つかったのが、今も所有するZ32です。
グレードは、ツインターボ、2by2、Tバールーフ、AT、本革シート、BOSEオーディオ+CDチェンジャーのフルオプション仕様。
新車だと乗り出し550万くらいになるのを、乗り出し440万で買いました。

ただ、当時は商品化されたばかりのカーナビゲーションとか、オーディオ系やホイール交換とかドレスアップ系のみに興味があり、
私も速攻で当時主流の17インチホイールとHKSのリーガルマフラーに交換していました。
チューニングにのめり込むわけ
この頃はまだクルマのチューニングやカスタムは一般的ではなく、S13シルビアやR32スカイラインの登場で急拡大する火が付く直前な時代でした。その一端として、当時練馬にあったステルスというお店が、ブーストアップまでに対応したコンピューターの書き換えを安価でやりだしていて、
リミッターカットがてら私も書き換えをやっていました。 確か5万行かないくらいの金額だったと思います。
ところが、ちょくちょく夜走るようになった首都高でシルビア(S13)に抜かれて追いつけなかったのです。
なんで格下のシルビアに追いつけないんじゃ?となり、職場にあったCARBOYやOPTIONを見るようになったのです。
そして1990年のボンネビルスピードトライアルに参戦したJUNオートメカニックの記事が目に留まります。

見た記事自体は確かOPTIONじゃなくCARBOYだったと思うんだけど。。。
当時タービン交換のメニューを金額込みで広告に出していたのはJUNだけだった(はず)ので、1993年にJUNオートメカニックに飛び込むことになります。
今のJUNオートはちゃんと事務所がありますが、当時あそこは稼働していないショールームで、車を入れる所のわきに小さな事務所があって、
そこに飛び込んで小山専務に相談したのがJUNオートとの付き合いの始まりです。
で、いきなりタービン交換のメニューと足回りのメニューを頭金なしの5年ローン(当然車のローンと並行です)で実施しました。
(この時見積200万が請求時に210万になっていて10万なくて困ったりしたなぁ。)

1993年末にはホイールの盗難にあったりしました。 目立ってたんだろうな。
恐ろしいスピードで後ろから追い越していく車たちが現れることに気づきました。 いわゆるC1本気組ってやつですね。
当時は0時過ぎると明るくなるまで一般の車はタクシーがたまに走ってるくらいでしたからね。 まだ雑誌で紹介される前だし。
そして私も0時過ぎから朝まで走るようになり、当時あったC1を走る人たちが集まるネットの掲示板にも参加するようになり、
どんどんチューニングにのめり込むようになるのです。
当時の目標に近づけたのか?
実はタービン交換した直後くらい(1993年ごろ)に最終目標をイメージして描いた絵が出てきたので、現状と並べてみました。エンジンは鍛造ピストンとコンロッドを入れて3.1リッター化し、トラストのTD06L2-20Gツインを組んで、ワンオフでワイドボディ化したいと思っていました。
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![]() リアフェンダーは約7センチUPと書いてありますね。 ここは目標とぴったり一致しました。 タイヤは335/35R17想定ですが、305/30R19になりました。 |
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