マラネロGTの誕生については1999年まで遡らなければなりません。 1999年、GT1カーがいなくなったFIA−GT選手権は、バイパーやマーコスを除くとすでに生産されていないポルシェ993GT2が多数走るだけという状況で、内容的にも興行的にもとても世界選手権とはいえない悲惨な状況でした。 オーガナイザーのステファン・ラテルは、強力なオレカバイパーのライバルさえ存在すれば、十分にGT1カーに匹敵する興味をスポーツカーレースファンに与えられると考えていました。 そのラテルが最も期待したのがフェラーリです。 ラテルが考えていたのは、F40LMに続いてフェラーリが開発していたF50GTでした。 F50GTはメルセデスやポルシェのGT1カーが走っていた頃、しばしばテストを行うところまで開発が進んでいました。 ところが、マクラーレンF1GTRですら手を焼く事実上のレース専用GTであるメルセデスやポルシェのGT1カーには、とても対抗できないと判断されていました。 しかし、ベースとなったF50は349台も販売される立派なロードゴーイングカーであったため、GTレースへの参加に必要なロードカーとしての全て条件をクリアしていました。 また、ファーストレーシングがフェラーリF50GTをGTレースに参加させる根回しを行っていることもラテルは知っていたのです。 |
F50 GT BPR TEST 1996 PICS COMMING SOON |
ファーストレーシングの目論見はステファン・ラテルの考えそのもので、ファーストレーシングのジャン・デニス・デラトレスはフェラーリ愛好家達から資金を調達してF50GTを走らせようとしていました。 しかも彼の計画には、3〜5台のF50GTレースカーを製作して販売することまで含まれていたのです。 しかし、FIA−GTに参加するためには当然ながらFIAのホモロゲーションが必要なのですが、F50GTだけでなくF50そのものもホモロゲーションを持っていませんでした。 ラテルやデラトレスは、F50GTがGTレースに参加することに対してフェラーリの社長であるルカ・ディ・モンテゼモロが反対であるとは考えていませんでした。 それどころか、メーカーが行うさまざまな事柄を自分たちが行っていることに対して、感謝されていると考えていました。 ところがモンテゼモロは、「F50GTをGTレースに走らせる考えはない。 そのためホモロゲーションを申請する予定も無い。」と連絡してきたのです。 |
製造したメーカーでなければFIAのホモロゲーションを申請することは出来ません。 そのため、ラテルがモンテゼモロを説得する一方、デラトレスは支援者たちに状況を説明して回りました。 デラトレスの支援者たちは、マーケットが限られる高級車メーカーにとって繋ぎ止めたい大切な顧客です。 このことは、フェラーリのモンテゼモロにとっても同じはずなのですが、本格的にフェラーリ本体のファクトリーが参加するならともかく、強力であってもプライベートチームの走らせるV12エンジンのF50GTが、アメリカ製のローテク極まりないプッシュロッドV8やトラック用のV10を積むマシンに負けるのを許さなかったのです。 これはヨーロッパのスポーツカーメーカーがワンメイクレースにしか自慢のスーパーカーを参加させないのと同じ理由で、得体の知れないメーカーの様々なスポーツカーと戦う通常のスポーツカーレースへの参加には消極的だったのです。 それほどモンテゼモロは“フェラーリ”というブランドとV12エンジンを神聖なものと考えていたようで、「他のスポーツカー達に絶対に負けないためには、レースに出ないこと。」とまで言っていたのです。 そのため、彼はせっかく完成していたF50GTを葬り去る決心をしていました。 救いだったのは、ステファン・ラテルが知恵を絞ったこともあって、デラトレスの支援者たちがデラトレスを見放すどころか、フェラーリを走らせる新たな計画への支援を約束したことでした。 そこでラテルはメーカーでなければ申請できないホモロゲーションの廃止に動き出します。 しかしGTのホモロゲーションは、レーシングカーにナンバープレートをつけただけの車がGTレースに出るようなことを阻止するために、無くてはならないものでした。 このような暴挙が現実に行われたため、FIA、それに大メーカーの賛成を得ることは難しく、これではいつまで経ってもメーカーに頼らなければスポーツカーレースに相応しいスポーツカーによるレースは不可能だと考えていました。 そこでラテルは、FIA−GTに限ってホモロゲーション取得方法の変更をFIAに認めさせます。 新たなホモロゲーションとは、参加するチームからの申請や主催者が望ましいと判断した車に対して、逆にメーカーへFIAがその車の存在を問いただすというものでした。 つまりメーカーの許可を不要としたのです。 もちろんF50も1ユーザーの手によって申請が出されて、GT011というホモロゲーションパスポートを手に入れました。 この強硬手段の後で、「F50GTのホモロゲーションを認めてメーカーとして意義を申し立てない代わりに、フェラーリにとって特別な存在であるF50のレース参加を遠慮してもらいたい。」というような要望がモンテゼモロから出されて、これをラテルが了承して手打ちとなったと言われています。 ラテルはモンテゼモロの要求を呑む代わりに、フェラーリの他のモデルでの参加について了承を取り付けたのです。 |
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